8月29日の日記。白鷺。



 中崎町へ7〜8年振り。あ、いや、コモンカフェ、とかの中崎町はちょくちょくライブで行くのだが、あの都会のど真ん中にある長家がずらりの中崎町は7年か8年振り。そしてコモンカフェの裏っかわが、あの長屋世界だとは頭の中で認識出来てなかった、あ、コモンカフェの前を通って、の道筋で行ったのですが、さてコモンカフェの前を通って裏に廻るとすぐ真裏が実は、7年か8年前に行ったきりの街並みが並んでおり、驚いた。その頃よりも大分、店が増えていて久しぶりのAmantoも大分雰囲気が違う。大分は大分温泉が多くカフェよりも温泉が多い。
Amanto横の銭湯も健在。Amantoで8年いや9年前兎に角、ここで杉本拓宇波拓の両拓氏と江崎のトリオは近隣のかたの阪神の中継、念仏、お祭りの練習といった音とともにで大変印象深い。次の日の赤レンガ倉庫の演奏中の通り雨も印象深い。その次の日のC.A.Pハウスの坂出達典さんの演奏や我々の演奏を聞いた母親は「能」のようだ、との感想。父親の「わからん」しかし次の日に感想が「俳句」にしたためられて机においてあり驚いた。ここで岡本のホーム降りた。ゆっくり通り過ぎる電車、車内に揺られる男の子、父親は大きな野球盤を抱えている。上半身は大きな野球盤に顔まで隠れていて見えない。学生の頃、車の中からふと外を見ていると大きな鷺が佇んでおり「鳥」!と思わず叫んでしまい怒られてしまった。
授業中に教室の外の廊下を挟んでの白く塗られた鉄柵に蝉が泊まったのをふと見て「蝉!」と叫ぶ。
Amantoを出て近くのコーヒー屋へとハシゴ。店名は忘れたが大変旨かった。
隣のカップルの男の方が、今はない、宝塚ドリームランドで毎夏水木しげるのお化け屋敷が催されて風物であったが、それに地元の手塚治虫が何故「俺」ではないのだと噛みついた逸話を語っている。手塚治虫の絵はじっと見ていると苦しくなる。水木しげるは飽きない。
中崎町へ寄る前に阪神百貨店水木しげる展へ立ち寄った。たいへんな人混み。今好きな本を挙げろと言われたら確実に3本指に入る
河童の三平正岡子規の仰臥漫録と牧野富太郎の植物知識。青山二郎魯山人の文章が次点か)のそのもっとも好きな場面の原稿が見れた。部屋で寝てるやつ。
原稿は様々な指示や修正の跡、セリフは印刷したものを貼り付けており、絵そのもの以外の情報が絵そのものに集中せずに済むが故に軽く、しかしかえって何度も重く眺められる。意味の散らし。文人画や博物学の絵のようなシステム。
川原慶賀の植物画。細馬宏通さんが「この下をくぐり抜けて、学校へ通ってます。」などと画面に記入された古い使用済みの絵はがき
を更に絵はがきにして売っていた。買った。展覧会などの絵に添えてある説明は要らない。作者名も要らない。後で知りたければ知ればよい。ただ完全に題名や説明まで含めてはじめて作品になるようなものは例外である。数年前の細馬さんの他人絵はがきの展覧会もそのようなつくりでした。
写真は中崎町の雑貨屋で買った裏表で潔いなぁ。